2005年05月09日

将の視点、兵の視点

むかーしむかしまだタグ打ってサイト作ってたころ、こういうタイトルのテキストを書いたことがある。

戦後世代の人が太平洋戦争を振り返るにあたって、やれ南雲長官がどうの山口少将がどうの、ミッドウェーで雷爆換装2回もしなければ、とかいういわゆる「将の視点」で語る人と、おらのじっちゃはアジア解放のために戦ったんだとか「兵の視点」に立って戦争を語る人、突然空から爆弾が降って来てみんな燃えてなんでこんな目に、という「民の視点」で語る人がいて、それぞれのスタンスごとに支持するオピニオンは特定の傾向を見せがちである、というようなことを書いた(また、それぞれの思考の土台が違うので容易に会話が成立しない、という「文型理系論」の原型のようなことも書いた)。

現代社会においてこれら「将」「兵」「民」はそれぞれ「経営者」「労働者(被雇用者)」「大衆」に置き換えて考えられる。

今回強調しておきたいポイントとしては、戦争を「将」の視点で語る人が実際には将でないように、実際には経営者でない人も経営者としての視点を持ちうるということで、たとえばそれはホリエモン騒動のときににわか経済評論家がニョキニョキ出てきたあたりが例として挙げられる。

兵士が敵を目の前にして戦局のことを思い悩んでもロクなことがないように、いち労働者である身が自分の会社の経営をああだこうだ考えて良い悪いを言っても不満になるばかりだ。しかし、一兵士もこの作戦はいけるとかまずいとかを「肌で感じる」のであって、とくに小隊指揮官クラスがこれをしっかり把握して行動していると(あるいは把握できるように下が支えると)、戦局全体が改善するケースが少なくない。

要は、最近よくビジネス誌とかSE業界誌なんかに出てくる「経営者的視点」てのはそういうことをいっているんであろう?というようなこと。
posted by 某ササキ at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月19日

満員電車の中で、新興宗教っぽい本を読んでるお姉さんがいた。

「死んだ人には肉体がないので、魂だけで存在しているのです。死んだら残るのは魂だけなので、生きているうちに魂をきれいにしましょう」みたいなことが書いてあった(3大宗教はいずれもそんなことを説いてないので、新興宗教なんだろうと思った)。

こないだお釈迦になったうちのノートPCに入っていたソフトウェアは、ソフトだけになって存在しているのだろうか。
「そんな馬鹿な」。

魂とはなんだ。
肉体というハードウェアなしに存在する「魂」などというものを、とくに立証の必要も感じずに信じる人は、いったいどんな概念を前提としているのだろう。
生まれたときから体内の「魂の座」に鎮座する不変の「己」のイメージだろうか。
だとするなら、「自分」が一個の連続体であると信ずる根拠は何か?

自分はこれまでの過去を全部記憶している、という幻想だろうか。
ちょっとアルコールをとりすぎれば吹っ飛ぶような記憶なんてものが根拠になりうるだろうか。

「たましい」という名は、概念の名前である。
名前があるから、あると信じられるのか。


ことば。
無いものをあることにできてしまうことば。
「真の名」を呼べば、そのものを、物体ではない現象ですらも支配できる、という、世界普遍の呪術。

たとえば「ニート」と名を呼べば、それまで存在しなかった種類の「人種」が生まれ、さもそれが呼ばれる前から存在したかのように振る舞う。

魂。
エーテル。
熱素。
エレメント。
地獄。
天国。
前世。
勇気。
やさしさ。
男気。
世論。
常識。
権利。
正義。
悪魔。
奇跡。
神。

ことばは存在であり、炎のない場所にも立ち昇るけむりだ。
人々は朝靄に触れて火傷をしたと騒ぐかと思えば、ガスバーナーの無色の炎に炙られながら、平然と焼け落ちていくのだ。

ならば前提を疑え。
コンテキストを立証せよ。
データを収集し、統計をとれ。
演繹し、帰納せよ。

海賊の地図、あるいは天竺の教典は存在しない。
僕たちの手元にあるのは、ただコンパスとペンだけである。
posted by 某ササキ at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月12日

自信資本主義 その1

某友人のweb日記に「要は自信があるかどうかということが、人を幸せにしたり不幸にしたりするのだ」とコメントをつけた。
それについてもうちょっと深く考えてみる。

そもそも「幸福」の定義というものを考えたとき、「自分が他人より幸福であると感じること」以外には考えられない。本人が自分は幸福だと考えなければ幸福でないわけだから、客観的な幸福というのはありえないわけだ。幸不幸は常に主観的である。「幸福な王子」は皮肉ではなく本当に幸福なのだ。

自分の精神や能力や容姿や境遇や成果や裕福さや知名度や友人関係などが他の人より良いと感じることが幸福の条件であり、それらが他人より劣ると感じることが不幸の条件だ。
(故に、価値観の違う雑多な人々の集合、すなわちpeopleをまとめて幸福にするためには、無条件の祝福と、同量の「祝福されぬ人々」を必要とする。すなわち宗教や選民思想や被差別階級は幸福を生み出すためのメカニズムだ)
つまり、自分の中に幸福の条件を見つけ出せない人は他人を不幸にして相対的に自らを幸福な状態に置かなくてはならない。幸福感は常に相対的だから、自分は動かなくても周りが沈めばよいのだ。
この論理が駆動すると、ミクロ的には自信のなさが当人を不幸にし、マクロ的にはその不幸な人間の自己救済活動によって周囲が不幸に陥れられる。
貧困が犯罪を助長し、社会資本を浪費させるように、自信の貧困は周囲の幸福を破壊するのである。

(つづく)

posted by 某ササキ at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月09日

ISOと全体主義

なんか、今の職場で、ISO14000を取りたいらしい。
環境へのやさしさをアッピールして正当性を主張していきたいらしい。
それは結構なことだ。

で、その監査の人が9日に来るので、ついては、常駐しているあなたがたのとこにもその人らが質問しに来るかもしれないから、答えられるようにしておいてくれ、といわれた。

「Q.なぜ、省エネが必要なのですか?」
「A.電力を節約することで、発電に必要な石油などの資源を節約し、地球環境の保護と、資源枯渇防止につとめるためです」
とゆーよーな一問一答集と、「私の環境対策」と書かれたカラーコピーの記入用紙を渡された。
とくになにもしてないが、何か「私の環境対策」何か考えないといけないのかと思ったら、「これを書いてください」といって、さらにそこに書くべき内容を渡された(昼休みにPCのモニタを消します、とか)。自分でこのとおり書けということらしい。

書こうとして、ものすごい拒否反応を示している自分にびっくりした。
何が嫌いといって、「これこれこう書くこと」といって渡されたものを、さも自分の意思で書いたかのように書かされることが死ぬほど嫌いなのを思い出した。自分でも不思議なくらい嫌いだ。
続きを読む
posted by 某ササキ at 21:06| Comment(1) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月01日

家庭内文化?

「知性化の嵐2 戦乱の大地」下巻を読み終わってしまい、続きを買おうと思ったら本屋の閉店に間に合わなかったので、ずっと前にクリエに保存した「腐女子の行く道、萌える道(現在更新停止中)」のログ(3月分)を読みながら帰ってきた。

すばらしい面白さ。思わず電車の中でニヤニヤしてしまった。
じつはどっかのプロが創作してるんじゃねえかと噂されたのもうなずける。

この日記を書いていたオタク女子高生(もちろん自称)のちずちゃんは、ゲーマーの父とボーイズラブ属性の母、どれみオタの兄を持ついわゆるサラブレッド

家族そろってオタクだけど、ちゃんと社交的だし、ちゃんと家族の時間を持ってるのがすばらしい。

オタクを引きこもりや対人恐怖症にするのは、その文化を理解しない「外界という恐怖」なんだと思う。
ゲームやマンガなどのオタク文化が人間関係を疎遠にするという人々は思い知るがいい。オタク文化を遠ざけるあなたがたの姿勢こそが、オタクたちの人間関係を疎遠にさせ、社会性を奪っているのだということを。
人に社会性を与えるのは家族の会話であって、話題の内容ではないのだ。子供がゲームの話しかしないのなら、親もゲームの話をすればいい。共通の語彙を持ってコミュニケーションを確立し、その上で世の中はそれだけではないことを導いてやればいい。それをせずにただ、他人(のつくったもの)に罪をかぶせるのは怠慢でしかない。

ちずちゃん早く戻ってきてくれないかなあ。
posted by 某ササキ at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月13日

ニート


あちゃぞうさんトコの記事を読んでいたら思い出した記事があったので、探したらあっさり出てきた

論の全体としては、「ニートという状態」について、あちゃぞうさんは個人に原因を求めていき、対してR30の人は社会環境に原因を求めていくという、正反対のアプローチを見せている。
ただ、「ニート=カジテツ(≒専業主婦)」という共通のキーワードが現れるところから見えるように、「ニートは新しい概念ではなくて、ただこれまで存在していたけれども名前のなかったあのああいうあれに名前がついただけなんだ」という気づきが双方の論の根底にある。
興味深いのは、その「あのああいうあれ」へのイメージというか印象が両者で決定的に異なる点だ。この違いによって、一度は交差した論の行き先はまた違う方向へ向かっていく。
続きを読む
posted by 某ササキ at 18:02| Comment(9) | TrackBack(2) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月19日

オタクがオタクファッションなわけ

「オタクをやめてから」なんて書いて一般人ぶったりしていましたが、所詮自分のは「一般人のコスプレ」でしかなかったことを思い知りつつある今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。

今日はわたなべさんに付き合ってもらって今度こそズボンを買いました。ええ、ズボンですよズボン。別の言葉で言えばジーパン。ナウいですね。まるでヤングです。

で、そのとき僕はわたなべさんから「ベルトは腰骨より上でしめちゃいけない」ということを聞いてカルチャーショックを受けたりしていたわけです。今まできっちりおへその上でしめていましたのでね。ええ。

ただ、わたなべさんに「こういうのがよいと思う」と薦めてもらったもののうち、半数くらいに「それを僕が穿く(着る)のはありえない」というような拒絶反応を示す自分を観察しているうちに、面白い仮説に思い当たりましたよ。ファッションより機能性を優先させる姿勢、興味のないものへの徹底した無関心、単なるだらしなさ。それらもたしかに大きい要素かもしれないが、「オシャレをすること」自体に対する強烈な嫌悪を、オタクたちに喚起させるほんとうの要因は、あるいはその根っこは、別にあるのではないか?


続きを読む
posted by 某ササキ at 00:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月17日

服が買えない人

今週末は旅行に行くので、服を買いに行かなければならない。とくに1本しか持ってないズボンはどうしても買わなければならない。何しろその1本を買ったのも2年前だったりするのだし、いい機会ではある。

続きを読む
posted by 某ササキ at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月15日

さらば、がってん寿司

親父が久しぶりに日本に帰ってきたので、寿司が食いたいということで、かっぱ寿司に行きたがる親父をなだめすかしてがってん寿司に行った。 親父とよくかっぱ寿司に行ってたころはまだ大型店舗でコスト削減型経営始める前だったのでそこそこ食えましたが、 今は並ぶばっかりであまり幸せになれない気がしたので。

 

今の回転寿司業界はいわゆる100円寿司とちょっと高い付加価値志向の店との二極化が進んでいて、がってん寿司は後者のお店。明るい店内、 アトラクションのように響く店員の掛け声、などなど、 顔の見えないバイトが握った寿司をコンベアで受け取るだけの100円寿司とはいろいろな差別化を図っています。

 

が。

今日はかなりがっかりというか・・・サービスは悪くないんですけど。

なんか、ネタの上にあぶり葱だのもみじおろしだのマヨネーズだの、いろいろ乗りすぎ。とくに韓国風?の味付けのやつは最悪。 完全にネタの味を殺している。あとカニグラタンなんか寿司屋で食べたいと思わないです。

今日は驚いたことに、普通のネタのほうが少なかったんですよ。マヨネーズのかかってないサーモンはわざわざ頼まないと出てこなかったし、 あら汁がなくなっててワタリガニがでーんと入った味噌汁(しかも蟹は後入れらしくてぜんぜん味が出ていない)しかなかったし。 前はこんなんじゃなかったのになあ。

たしかに見た目は派手だし、いろんな味がして楽しいとは思いますが、僕やうちの家族が求めてる寿司はこんなのじゃないんですよ。 魚と酢飯と醤油とワサビ以外の味はしてほしくないんです。これじゃ、居酒屋のメニューが酢飯に乗ってるだけです。だったら、 最初から居酒屋に行きます。もっといろいろな種類がありますから。

子供とかには受けると思いますし、100円寿司よりも高い理由をできるだけ見た目にはっきりさせたいという理由もわかりますが、 多分もう行かないと思います。あれなら、かっぱ寿司のほうが好みに合うというか。まだ寿司っぽい感じがするので。

以前はこんなにゴテゴテのってるやつは少なくて、前回行ったときにちょっとだけあったこれ系のを食べてみて「これは違うなあ」 と思ってたんですが、まさかそれにメニューを埋め尽くされるとは思いませんでしたよ。完全に、僕の好みと違う路線を歩み始めた感がありました。

 

というわけで、さらば、がってん寿司。

他の中級回転寿司チェーンがこの路線に追随しないことを祈って。

 

 

posted by 某ササキ at 00:40| Comment(1) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月31日

オタクをやめてから

僕は以前オタクでした。今は違います。
悲しいことに、今は違います。

(※このエントリは、デイスイブログです)
続きを読む
posted by 某ササキ at 23:11| Comment(1) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月25日

脱力感

最近、ときおり奇妙な脱力感に襲われる。
僕の知らない感情の味がする。
悲しみにも喜びにも、喪失感にも誇りにも似た感じがする。
あるいは切なさのような、あるいは怒りのような、でもそのどれでもない、無色透明な、名前のない鈍い衝撃のようなものが僕を打ちのめして、脱力させてしまう。

小さい頃、砂糖と塩を一緒になめたら中和されて無味になるだろうと思った。
ポジティブな気持ちとネガティブな気持ちがぶつかると、対消滅して消えていくのだろうか?
質量のない感情は、E=Mc^2の法則に基づいてなんのエネルギーを生むこともなく、ただ反応しそこねた屑を周囲にばらまくのだろうか?

この脱力感は多分もう少しの間だけ、僕を襲うだろう。
視界の端に見え隠れする小さい影のように、ちらちらと、どんな影響を僕に与えることもなく、幽霊のように既に完結したそれは、僕の意識をただ通過していくに違いない。
僕はその幽霊に、手向けるべき花も、かけるべき言葉も持たないから、ただただ歩いていくだけである。

posted by 某ササキ at 18:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月14日

長話のコスト

今の職場では、毎朝の朝礼で順繰りに司会がまわってきて、その人が所感を述べることになっている。
大抵はボソボソと1分程度しゃべって「じゃあ今日も一日よろしくお願いします」てなことになるのだが、職場のすこし偉いひとで、その話がやたら長い人がいる。
それが聞くだけで生産性どかんと伸びるようなありがたい話ならいいんだが、今日も「今やってるような大規模プロジェクトは原価オーバーしやすい」という話から「エンジニアはスキルを伸ばさなくてはならない」というような死ぬほどどうでもいい話に展開して10分以上やらかしたので、聞き流しながらちょっとその原価計算をしてみた。
エンジニアひとりの時間あたりコストが6000円(月100万円÷20日÷8時間)強だとして、20人のエンジニアを10分間拘束すると、約2万円の原価が発生する

プロジェクトが赤字にならないように気をつけろという前に自分の話が2万円も会社に浪費させてるって事実に気づけ。馬鹿め。
posted by 某ササキ at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月08日

ハズレの女子高生

夏休みはよかった。
何がいいのかというと、高校生が休みだから電車が空いていて、毎日必ず座れたのである。今の職場は朝夕だけ乗り換えなしの直通電車が出ているので、これに乗ると1時間弱の睡眠時間を確保できる。
しかしまあ、9月はやってきてしまうわけで、学校を特別に愛しているという一部の異常な方を除く生徒の皆さんと同様、僕も大変残念である。高校生が乗っていると、ちょうど僕の乗る駅に着く上り電車は「立っている人はほとんどいないが座席は全部埋まっている」というくらいの乗車率でやってくる。

以前書いたかわからないが、到着した電車で空き席を確保できなかったときにできるだけ早く座るためのコツは、「誰の前に立って空くのを待つか」という判断をすることである。もっと具体的に言えば、座っている高校生の前を確保することなのだ。終点まで乗っていく高校生というのはあまりおらず、だいたい途中駅で降りるからだ。路線によって違うかもしれないが、うちの路線はそうである(逆に大学生とか専門学校生と思しき若い私服のお兄さんお姉さんは都心に学校があるので終点まで降りない。サラリーマンはやはり終点まで行く人が多いが、意外と途中下車率が高い。年齢が高いほどその傾向にある。でかい荷物を持っていかにもこれからハイキングに行くぞ、という中高年の方は途中の大きい乗り換え駅か終点のほぼ2択だ。)。

もちろんこれは良く知られているらしく、制服姿の前のつり革から順に塞がっていくという面白い現象が見られる。
僕は一番手前の駅で降りてくれる制服を覚えているが、やはりそういうのはみんな覚えていて競争率が高い。すこし短くてもいいから確実に座りたいというのであれば、いつも二人組で座っていて、25分くらいで降りてくれる男子高校生あたりを狙うと確実である。
そんな中で、僕のいつも乗る車両にはひとりだけハズレの女子高生がいるのである。安易に制服だーと思ってその前に立っていると、地下鉄乗り入れのさらに先の駅まで立たされる羽目になるのだ。
今日僕の前にいた女の子がそうで、途中で気づいてあわてて場所を変えた(おかげで40分ほど寝られた)。

結局どういう話かというと、僕がどいた次の駅で乗ってきてそそくさとその子の前に立ってたおっさんは不幸であることよ、ということが言いたかったのだった。
情報は力なり
posted by 某ササキ at 09:27| Comment(1) | TrackBack(1) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月06日

「ゴセシケ」

という単語が唐突に頭に浮かんだのでググってみた。
SF翻訳家の大森望氏のページがヒット。

多分小学校5,6年のときに読んだような記憶が。タイトルも改題後の「合成怪物」だったと思うが、なんでそんな本を手に取ったんだろう。
そしてその頃愛読していたレーベルが岩崎書店「SFこども図書館」「SFロマン文庫」であったことが判明。「忘れられた惑星」とか「宇宙の勝利者」が大変面白かった記憶がある。
Amazonの検索結果を見て、ほとんど全部読んでいるのを思い出した。
うああ。俺の原点がこんなところに。

ちなみにもうひとつの原点は南洋一郎翻訳ポプラ社刊のアルセーヌ・ルパンシリーズ
こいつを小学校中学年のときに読んでなければ俺は漫画しか読まないアホガキだったかもしれない。
うわあなつかしいなあ。
posted by 某ササキ at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月23日

SF大会の思ひ出 その3

「どんぶらこん」と題して、屋形船で鵜飼を見ようという企画に参加したら、作家の小川一水さん、SF乱学者の大宮信光さん、ローカルリフレッシュコンベンション略してロリコンスタッフのはめせんさんとご一緒の席になりました。
そのときの話題。

続きを読む
posted by 某ササキ at 16:24| Comment(1) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

SF大会の思ひ出 その2

あんまり大会と関係ないけど。

続きを読む
posted by 某ササキ at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月11日

図書館が複本を買うということ

今日は隣町の図書館に行ってきたのですが(自分の市の図書館は駐車場がない上に暗くて狭くて本が汚い)、そこの図書館だよりのテーマが「複本の購入を考える」でした。
続きを読む
posted by 某ササキ at 18:54| Comment(5) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月08日

ゴミ屋敷

うちの近所にも一軒あるのである。
幸いにして、なまものの類はなく、拾ってきたものはいちど洗浄しているようなので、テレビでネタにされるような不潔さや悪臭はない。
単に庭先に不要品(と普通は思うもの)が山と積んであるだけである。

世の中にはなんでもたくさん手元にあればうれしいという偏執的気質の人もいるようだが、その家の物はすくなくとも用途のわからないようなものは積んでいないので、おそらくその家の人は、「まだ使えるのに捨ててある」ことに耐えられない人なのであろう。たとえそれが、今自分たちの使うものでなくても、である。

立派な心がけである。物の大切さがよくわかっている。直せば使える物は直して使えばよいのである。


本当にそうか。
物、つまりプロダクトを、大事に使うことは本当に効率的なのだろうか?本当に地球にやさしく、資源を大切にしていると言えるのだろうか?

僕はそう思わない。
その家の人が天才的な修理の達人で、なんでもあっと言う間に直してしまえるのならよいが、そうではないだろう。その家の庭先の蓄積物は、増えることはあっても、減ったり入れ替わったりはしないからだ。
あそこに積んであるものはまったく活用されていない。無駄そのものだ。蓄積された物も無駄なら、それに使用されている土地も無駄であり、集めたり洗ったり直したりしているその人の時間も無駄だ。

大切なのは、プロダクトではない。リソースである。物質的なリソース、空間的なリソース、人的リソースなどなど。

僕は、無駄遣いをしてどんどんゴミとして捨てろと言っているわけではない。
物そのものではなく、それを生む仕組みを大事にしろと言っているのである。
リサイクルはどんどん進めればいい。だがそれはスケールメリットがなければだめだ。
おっさんのはかどりもしない手作業で延々とやっている間に、人々はどんどん物を捨てている。結局、なにも解決することはないのだ。

僕は、ゴミ屋敷の人が不要品を集めることは非難しない。趣味でやっているならおおいに結構。
だが、それが環境に優しく、偉いことなのだと思う人がいるとすれば、それは間違っていると思うのである。
posted by 某ササキ at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月26日

発掘記事

2001年1月付けのテキストが出てきた。
たぶん前のサイト用に書いてたんだと思うけど面白かったので再掲してみる。

続きを読む
posted by 某ササキ at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人生是仮想遊戯也

ずいぶん前から時々考えること。

僕の人生というのは、どこかメタ宇宙のゲーマーがプレイしている没入型の超リアルなゲームだという説。それはMMOかもしれないし、実はシングルプレイヤーゲームかもしれない。

死んだ後、Result画面が表示されて、「生涯で殺した生き物の数」とか「受けた愛情ポイント/与えた愛情」とかが表示されて、ログアウトした「本当の僕」が「ちっ、今回はいまいちだったなぁ。やっぱ『理想の高さ』の初期値設定が・・・」とかぶつぶつ言うという。

もしかしたら、メタ宇宙の人から見るとこの世界はすごくファンタジーな「設定」なのかもしれないな。

参考:「ねえ、『この』ネトゲ、クソじゃねえ?
posted by 某ササキ at 10:26| Comment(3) | TrackBack(0) | 長文語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。