2004年07月21日

冲方丁「マルドゥック・スクランブル」読了

マルドゥック・スクランブル―The First Compression 圧縮マルドゥック・スクランブル―The Third Exhaust 排気マルドゥック・スクランブル―The Second Combustion 燃焼



感想の前に少し。

後書きに全部書いてあるのだが、作者はこの物語を書くために命を削っている。
金を儲けるためでも、社会に何かを訴えるためでもなく、ただ、書きたいから、書かずにおれないから書いた作品である。

だから、いろいろな部分に理由はない。あるいは作者に言わせれば「避けようがなかった」のだ。
なぜテーマは少女でなければいけなかったのかとか、なんでSFで延々カジノシーンやねんとか、脇役の掘り下げが甘いんとちゃうかとか、そういうのはどうでもいいのである。
そういった理由で、この作品の価値はいささかも増減することはない。
このテーマと、このドラマを、こんなようなイメージの舞台で描ききることさえできれば、すべてあとのことは些細な問題なのである。

そして、この作者は完全に描ききった。すべてをこの1800枚の原稿にぶつけ、世に問うた。だから、この作品は紛れもない芸術である。芸術すなわち表現であるとするならば、これが表現ではなくて何なのか。

だから僕はひとりの読者としてそれを受け止め、評価しよう。


気に入らない。


巻末の参考文献を見ると、ジャンルこそバラバラだが、ほぼすべてが哲学、嗜好あるいは精神について述べたものである。ここに、僕は「作者が書きたかったもの」の顕著な偏りを見る。

僕は、SFの精神とはすなわちセンス・オブ・ワンダーだと信じている。
必ずしも厳密な科学考証は必要ない。必要なのは不思議さ、興味深さ、異質さ、新しさ、あるいはワクワク感である。
一言で言うならそれは、好奇心にほかならない。

「大戦後の奇形化したユートピア」も「不死身の強化人間の悲哀」も、「意志を持ち自在にかたちを変える武器」も、「傷つけられたのち力を与えられて戦いに挑む少女とその愛」も、SF(あるいはその兄弟であるファンタジー)のテーマとしてはすでに語られ尽くしている。
本作でいちばん目を引くギミックである(と僕は思う)「記憶を商売道具にする男」ですら、『記憶屋ジョニー』で激しくガイシュツである。
どこにもワンダーはない。新しくない。

また、作品の作りそのものはきわめて丁寧で目立つ粗もない(作者がまさに渾身の思いで書いたのだから当然と言える)が、その世界感や周囲の情景描写にとくに印象に残る場面はない。全体に「どこかでみた感じ」がするのは、それが既存のイメージの積み重ねでできているからだ。
神は細部に宿るとするならば、(主要キャラの内面描写を除いて)この作品に神はいない。

以上が、僕の評価の理由である。あと、言葉を語感とイメージで選びすぎなところとか。
とにかく典型的な文系の文学だった。質は高いと思うがあいにく僕は理系なので肌に合わない。

以上。
posted by 某ササキ at 00:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 今読んでる本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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