今日はわたなべさんに付き合ってもらって今度こそズボンを買いました。ええ、ズボンですよズボン。別の言葉で言えばジーパン。ナウいですね。まるでヤングです。
で、そのとき僕はわたなべさんから「ベルトは腰骨より上でしめちゃいけない」ということを聞いてカルチャーショックを受けたりしていたわけです。今まできっちりおへその上でしめていましたのでね。ええ。
ただ、わたなべさんに「こういうのがよいと思う」と薦めてもらったもののうち、半数くらいに「それを僕が穿く(着る)のはありえない」というような拒絶反応を示す自分を観察しているうちに、面白い仮説に思い当たりましたよ。ファッションより機能性を優先させる姿勢、興味のないものへの徹底した無関心、単なるだらしなさ。それらもたしかに大きい要素かもしれないが、「オシャレをすること」自体に対する強烈な嫌悪を、オタクたちに喚起させるほんとうの要因は、あるいはその根っこは、別にあるのではないか?
なぜ、オタクはズボンをルーズに穿かないのか?なぜ、シャツをタックインするのか?なぜ、ドライバーグローブやバンダナやロザリオを身につけたがるのか?
・・・それは、オタクの「敵」が、ズボンをルーズに穿いたり、シャツをズボンから出していたり、ピアスをしたりするからではないだろうか。
オタクな男の天敵は、親でも教師でもPTAでもACCSでも京都府警でもなく、「チャラ男」(一般的な基準から見てチャラくないかもしれないが、オタクの目にはチャラく写る相手)である。
知識や空想を愛するオタクを馬鹿にし、蔑み、無視し、女の子を奪っていく(とオタクに感じさせる)存在。オタクもまた、チャラ男を馬鹿にし、蔑み、憎み、妬む。奴らは馬鹿で、何も考えておらず、成績も悪いし(なんでこんな簡単なことすらわからないのに生きていけるのだろう!)、チャラチャラしていて、そのくせ自分たちをいじめ、軽んじ、いつも楽しそうにしている。馬鹿な3次元女は自分たちでなくあちらを選んでしまう。奴らさえいなければ、もっとましな青春が送れたかもしれないのに・・・!
(ほんとうにそこまで思ってる奴ばかりじゃないと思うが、思ってる奴はいるだろう)
それへの反抗なのではないか。あるいは、それと同じ位置に自分が「堕ちる」ことへの恐怖なのではないか。
頭の悪い奴と見下している相手と同じ事をしてだらしなく笑う自分を想像して恐怖し嫌悪する。それを遠ざける。自分はそうではないということをアピールしたいから、そいつらと違う服装を律儀に、かたくなに維持する。オシャレをする人がみんな敵ではないけれど、敵はみんなオシャレをしているのだ。必ずしているのだ(なにしろそれが「敵」の定義だから)。
だからオタクはオシャレをしない。単に知らないとか、興味がないとかいうレベルではない。オタクはオシャレを拒絶する。かっこよくなってモテたいという欲求と、奴らと同じ格好はしたくないという反発がせめぎあって、その結果がドライバーグローブであったりバンダナであったりする。あれは、(無意識ではあるが)意図的にファッションを外したオシャレなのだ。故に、必然的に、ダサい。それに共感する人からのみ、格好よく見てもらえる。だから、オタク同士はオタクファッションをダサいと思わない。
オタクはプライドの高い生き物だ。自分が一生懸命やって、なおかつ負けるのに耐えられない。敵の土俵で勝負はしないだけの知恵は持っている(裏返せば軟弱なだけであるが)。だから、敵の土俵であるファッションでは勝負をしない。
僕が昨日感じた恐怖はそれ(の名残)だったのではないかな、と、思った。
僕が蔑む相手はみんなズボンをルーズに穿く(ルーズに穿いている相手を無条件で蔑むわけではない。逆は真ではない)。だから僕は、きちっと上までズボンを上げなければならないといつの間にか信じていた。きっとどこかあこがれていながら、でも自分はそれをしたくないというのは、そんな奇妙な反発心なのだと思った。
自覚したからには対処するのは簡単なので、あとはきっと大丈夫だろう。
それにパンツさえ決まってしまえば、靴だの上だのがそれに合うとか合わないとかは(ある程度)わかるので、たぶん悩まないと思う。もうきっと大丈夫だ。
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一人で服を買いにいくのなんてユニクロで限界だよ。
「お洒落な服屋さんに入るためのスーツコード」を
どうしても突破できない気がする。
>「お洒落な服屋さんに入るためのスーツコード」
さも「仕事帰りに寄りました」的リーマンルックで入店とかどうか。
本を返したいんですが年内は無理ですかねえ。
某サークルMの同窓会もそろそろやりたいと思ってるんですが。